浮気不倫

【旦那の浮気発覚】旦那が浮気していた!私は情緒不安定になり→「私の様な人間がこの子の親でいたらいけない」ついに・・・ 

 

旦那が浮気していた!私は情緒不安定になり→「私の様な人間がこの子の親でいたらいけない」ついに・・・ 

 

 

 

 

当時、私(24)、旦那(A夫)(26)、

浮気相手(B子)(23)

(フェイク込み)

 

友達関係だったA夫に私から告白、

遠距離恋愛が始まった。

 

「この人と家族になりたいな」と

初めて思えた人だった。

 

遠距離ながら少しずつ

関係を築きつつ数ヶ月たった頃、

A夫から「幼なじみのB子から

何年ぶりかに電話があった」と

聞かされる。

 

話を聞いてと、B子は精神疾患で

自宅療養をしているそう。

 

A夫がB子の状態に

ショックを受けていること、

純粋に心配していることがわかったし、

 

何となくモヤモヤする

気持ちはあったけど、

なんとか力になってあげたいと言うA
夫に、

「嫌だ」とは言えなかった。

 

 


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今思えば、そこで

「理解のある彼女」を演じてしまったのが

私の過失だったなと思う。

 

私とA夫はそのころお互いの親兄弟に

挨拶をすませ、婚約直前の

時期だったこともあり、

つい、いい顔をしてしまった。

 

ほんとアホである。

 

まぁ、夫に対して、

そんな大事な時期に

フラフラすんじゃねえバカという

気持ちもあるけど。

 

「今結婚前提に付き合ってる彼女がいる
と言ってあるし、

おめでとう!って喜んでくれたよ!」

 

なんて能天気に報告してくる

A夫に対して、当時は妙に安心してた。

 

ある時、久しぶりに会った時に

「B子に会ってくれないか」と

A夫が言った。

 

何となくだけど、

私とB子に友達になってほしい、

みたいなニュアンスだったと思う。

 

私はゴネたけど、根負けして

会うことになってしまった。

 

話には聞いていたけど、

初めて会った時のB子は

かわいくて気さくで、

本当に天使のようだった。

 

確かにこれは力になってあげたいと

思うよなぁと、しみじみ感じたのを

覚えている。

 

それ以来、何度か三人で遊んだ。

 

その頃の私はお花畑な考えだったので、

 

自分もB子が大変な時は

力になってあげなきゃなんて

本気で思ってた。

 

そんな中私とA夫は結婚式の日取りを

決めた。

 

B子にそのことを知らせるとすごく

喜んでくれていた。

 

今にして思えば内心どう思っていたかは

分からないしどうでもいいけど、

「協力させてほしい」なんて言って、

準備も手伝ってくれたんだ。

 

二人とも共通の友人が多くて、

親族も一緒になって最高の結婚式に

してくれたのさ。

それだけにダメージはでかかったな…

 

それから第一子を授かり、

妊娠期間中A夫(以下旦那)も

義両親も本当によくしてくれて、

出産時には立会いもしてくれて、

本当に夢のように幸せだった。

 

あの時、旦那の携帯なんて

見なかったら良かったのにな。

 

育児に慣れてきた頃、

きっかけは忘れてしまったんだけど、

 

結婚前のB子とのことが、

もう一年以上たってたけど

猛烈に気になった。

 

どうにもこうにも確かめずには

いられなくなり、

家族が寝静まった頃に

旦那の携帯を見てしまった。

 

 

 

 

結果、おそらくクロなB子からの

メール発見。

 

日付は三人で遊ぶようになった

頃のもの。

(消去してない旦那の迂闊さよ…)

「今日はありがとう。まだ夢みたいだよ」

「今日のことは誰にも内緒だよ」

それまで浮気のうの字も

経験したことのなかった私は

静かにパニックに陥り、

旦那を揺すり起こして

「夜中にごめん、A夫の携帯を

見てしまった」と告げた。

 

旦那は携帯を見たことを咎めることはな
く、ごめんと言った。

「この頃B子の病状の悪化があり、

夜中に今すぐ来て欲しいと頼まれた。

自分もどうしていいか分からず、

とにかくB子の元に行った。

 

この時一度きりだけ関係を

持ってしまった、それ以降はない。」

…という話だった。

 

私はあの時期旦那の様子が

おかしかったことも、

すべてが腑に落ちた。

結婚前だけのことと信じて

「わかった、水に流そう」と

その時は言ってしまったが、

日が経つほどに旦那への不信感は

募っていった。

 

第一の修羅場から三ヶ月ほど経った
頃、鬱病診断が下った。

 

最初の方は考えこんだり、

夜情緒不安定になって泣いたり、

頭痛が酷くなる程度で、

時間が経てば少しはましになるはずと、

育児に専念することにした(逃げた)。

 

旦那も負い目があるのか、

よりいっそう労ってくれた。


気がついたら体重は妊娠前から

8kg減、食べる気力もない、

子どものお世話だけは

何とかやるけどもう限界、

みたいな状態まできてた。

 

私たち夫婦は義家族と一緒に

住んでいたこともあり、

幸いにも育児はたくさん

手伝って頂いたけど、

それがまた申し訳なくて

悪循環に陥ってた。

 

でも「旦那が浮気していたことを知って
しまって、

信用できなくなってしまった」

なんてことは、誰にも言えなかった。

 

擁護する訳ではないけど、

旦那は遊びで浮気なんて

出来ないタイプの人だ。

 

だからB子と関係を持った時は、

少なからず男としてB子を

愛する気持ちがあったと思う。

 

私の手前旦那はそう言わなかったけど、

わかる。

 

それなのに、とっかえひっかえって

どういうことだと、

よく分からない怒りが芽生えた。

 

もう関係はとっくに切れてるって

言ってるのに。

 

旦那も多分私を安心させようとしたのか
もしれないが、ズレてる。

 

メールには返信しなかった。

喧嘩が増えていく日々、

どんどん私の病状は悪化していった。

 

あの頃の自分を振り返って

客観視すると、

本当に狂っていたと思う。

 

スヤスヤ眠る子どもの寝顔を見て

「私のような人間がこの子の親でいたら
いけない。死のう。」と

思ってしまった。

 

本当に大馬鹿としか

言いようがないんだけど、

大量の薬とお酒を飲み、

車で崖から転落死しようとした。

 

気がついたら病院のベッドの上にいた。

 

「私子!俺がわかる!?」と泣く

旦那とニコニコ笑ってる娘が目に入り、

 

意識は朦朧としていたけど

自分が死に損なったことを理解した。

 

後で聞いたことだけど、

道路脇で自損事故を起こして

気を失っていたらしい…

 

他の人を巻きこまずに済んだので、

それだけは本当に良かった。

 

薬の影響で3日ほど意識は

朦朧としていたけど、

3日後には異常もなく退院できた。

 

義実家家族は

「無事で良かった」とただただ私を

優しく受け入れてくれた。

 

当たり前だけど私の実家家族にも

連絡がいっており、

しばらく私は実家に帰ることにした。

 

実家と言っても年の離れた姉の

家庭だけど…

(母は他界、父は一人暮らしで、

姉が親代わりみたいな感じ)

 

実家まで旦那が車で送ってくれた。

 

この時もう私は離婚という

選択しかないと思っていた。

 

道途中で旦那に「ここで降ろして。

A夫にもよく考えておいて

ほしいんだけど、

私は離婚するのが一番いいと思う」と

伝えた。

 

旦那は「分かった」とだけ言い、

走り去って行った。

 

里帰り中は娘を義実家に

預かってもらうことになっていた。

 

別れ際に泣き叫ぶ娘の姿を

思い出しながら、

「親権は難しいのかな、これからどうしよ
うか…

でも生き永らえさせてもらったんだから、

少しでも娘に恥ずかしくない

生き方をしなきゃ…」

そんなことを考え歩いた。

 

姉宅にたどり着いて

姉が出迎えてくれた時は、

堰を切ったように号泣してしまった。

 

姉には鬱治療をしていることを

言わずにいたんだけど、

何も聞かずに「大変だったね」と

肩をだいてくれ、また泣いた。

 

姉も泣いてた。

 

その日の晩は、

倒れるようにぐっすり眠った。

 

ぐっすり寝て起きた頃、

ふと携帯のメールを読み返したら、

読み覚えのない既読メールがきていた。

B子からだった。

 

覚えていなかったけど、

私はどうやら旦那宛の

遺書メールをB子にも

送っていたようだった。

 

「死にます、さようなら」みたいな。

その返信メールだった。

 

「じゃー離婚したらいいじゃん。

子どももいるのに情けないと思わない
の?

ウザいのでもう関わってこないでね」

そんな内容だったと思う。

 

なんだか腹立つとか

悔しいとか恐いとか通り越して、

気持ち悪いと思った。

と同時に、

浮気相手に正論言われちゃって

脱力して、自分も負けないくらい

気持ち悪いことして

周囲に迷惑かけてる

場合じゃないと思った。

 

そのまま起きて甥っ子の登校と

義兄の出勤を見送ってから、

姉に旦那の浮気含むこれまでの

いきさつを全て話した。

 

その上で、

「私はお互いの為にも娘の為にも、

離婚した方がいいと思ってる」と言った。

 

すると姉は

「私子には言わないでほしいとは

言われてるんだけど…」と、

手紙を差し出した。

 

差出人はA夫だった。

 

私が車を降りた後、

その足で先回りをして姉にこの手紙を

渡しにきたらしい。

 

読んで、と姉。

手紙には、殴り書きの字で

こんなことを書いてあった。

 

「今まで私子さんを苦しめて、

お姉さんにも心労をかけてしまい、

本当に申し訳ありません。

 

私子さんは離婚を望んでいます。

そうなってしまった原因は

すべて僕にあります。

 

おこがましいことを承知で

言わせていただくと、

僕は私子さんを愛しています。

 

許されることなら、

この先もずっと、私子さんと(娘)と

暮らしていきたいです。

 

不甲斐ない自分ですが、

遠く離れていても彼女を支え続けます。

お姉さんには申し訳ない限りですが、

私子さんのことをどうか

よろしくお願いします。」

 

そう書いてあった。

 

不器用な旦那がこんな手紙を

書くなんて、と思うと、

また泣けてきた。

 

それから一週間もしないうちに、

私は旦那の元へ帰った。

 

子どものことが

気がかりだったこともあるけど、

再構築すると決意して戻ったのだった。

 

後から謝られたけど、

B子からのメールが既読になっていたの
は、旦那が読んだからだった。

 

私と同じような感想を持ったらしく、

今はB子に対して怒りしか

感じないらしい。

 

鬱病は良くなったり悪くなったりの

波がしばらく続き、

フラッシュバックで過呼吸になったりも

したけど、

 

私の場合子供とのふれあいが

癒しになったこと、旦那と

義実家が支えになってくれたことで、

だんだんと寛解に近づいていった。

 

一通りの修羅場と

愚かな自殺未遂を経験して思うのは、

誰かを憎み続けること、

度を越した嫉妬をすること、

それによって自分自身を傷つけるのは、

 

悪い意味でエネルギーを消耗し、

誰も幸せにならないということ。

 

憎んでもいいし嫉妬しても

いいと認めて、

その上で手放すようにした。

 

その感情にしがみついてばかりいたら、

自分が苦しむばかりだから。

 

実際、旦那の行動も

誠実そのものだったから、

そう思えたのだろう。

 

もし今後二度目の浮気があるとしたら、

私や溺愛している娘を捨てても

一緒になりたいと思うような女性との

出会いがあった時かな。

 

ま、その時までは私と

いてくれと今は思ってる。

 

実は明日結婚記念日なんだ。

 

当時の日記を昼間読んだりして、

当時の色々を一気に思い出したので、

書き込んでみようと思った。

 

読んでて特段面白い話じゃないから

申し訳ないけど…

 

既婚者板読んでて

常々思うけど、みんな多かれ少なかれ

苦しんでるよね。

 

本当に、サレ側の苦悩は、

サレて初めてわかる気がする。

 

これから先少しでも

みんなの苦しみが和らぐことを

願いながら、締めます。

 

 

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